2023/07/21 17:21

「女優になれるなんて思っていなかった。私は胸がないし、美しくないし、成功するはずがないと思っていた」



イギリス出身の歌手で俳優のジェーン・バーキンが、7月16日(現地時間)に76歳で亡くなった。
1970年代を代表するファッションアイコンが、パリの自宅で亡くなっているのを発見されたという。
男女両性の魅力を感じさせるルックスと眼差しの奥にどこか不安な陰りを持ち合わせ、ささやくような歌声で大きな名声を手に入れた彼女。
今年5月に健康上の理由でコンサートのキャンセルを余儀なくされていた。


1946年、ロンドン生まれ。イギリスが世界に衝撃を与えたビートルズやローリング・ストーンズ、マリー・クヮント、ツイッギーに続き、彼女はフランスにやってきた。イギリス訛りの辿々しいフランス語を話すジェーンの可愛らしさは、すぐにフランス人を魅了した。もともとブリジット・バルドーのために書かれた詞をバーキンのエロティックな声で歌い上げたセルジュ・ゲンズブールとのデュエット曲「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ(Je t'aime... moi non plus)」は、世界中で大ヒット。生涯で20枚以上のアルバムをリリースしているバーキンだが、俳優として『欲望』(1969)や『ナイル殺人事件』(1978)など65本の映画に出演。また世代を超えてファッションアイコンとしても愛され、エルメス(HERMES)を代表するバッグ「バーキン」を生み出した。


ジェーンは、どこに行くにもマーケットで買ったカゴバッグを持ち歩いていた。ある日、ロンドン行きの飛行機で偶然隣りに座ったエルメス(HERMÈS)の社長に「あなたが欲しいバッグを作りませんか?」と声をかけられ、『もっと便利でシックでなんでも入るバッグが欲しい』という話から完成したのが「バーキン」であることは有名な話だ。ジェーンの理想を形にしたこのバッグは、世界中の女性たちの憧れのバッグとして今もなお人気を博している。

私生活では、3人の才能豊かな男性との間に3人の娘をもうけた。
作曲家ジョン・バリーとの間に1967年に長女ケイト・バリー、1971年にセルジュ・ゲンズブールとの間に次女シャルロット・ゲンズブール、そして1982年に映画監督ジャック・ドワイヨンとの間にルー・ドワイヨンを出産。しかし写真家として活躍していたケイト・バリーは2013年、パリの自宅から身を投げて死去している。

人道的な活動に熱心だったことでも知られるバーキンは、2011年の東日本大震災発生からまもない同年4月に復興支援活動のためにいち早く来日し、チャリティーコンサートを開催。日本・フランス間の相互理解および文化交流の促進に寄与した功績により、2018年に旭日小綬章を受章した。

ジェーン・バーキンはその歌声で世界を魅了するだけでなく、声なき人々のために立ち上がってきた。彼女の持つ分け隔てのない無心な優しさと強くてしなやかな精神で活動する姿は、あるべき人間の姿を表しており、これからも世代を超えてインスピレーションを与え続けてくれることだろう。


<ジェーンバーキンとVITRAS GEDVILAS>
70年代のファッションアイコン、ジェーン・バーキンが愛用していたバスケットの復刻版を目指して始まったVITARAS GEDVILASは当初フランスで生産を計画していました。現地に赴き生産拠点の調査を重ね、情報通の知り合いも交えて生産者を探しましたが結論はフランス国内では不可能ということが確認できました。
多いに落胆していた私達はある家具職人の話からリトアニアで作れることを知り、リトアニアの家具職人を紹介していただきました。リトアニアの家具職人の方は快く引き受けていただき、私達が携えていた写真や絵をもとに最初のサンプルを作り、いくつかの改良点を踏まえて最終的なサンプルを用意することができました。
しかし問題がありました。1つのバスケットを作る為に約2日~3日の時間が必要なのです。全てを一から手作りで作るので時間が掛かります。それでも、近隣の家具職人の仲間が手伝えるとのことなので、ならばとサンプルを持って帰国の途に付きました。
早速数社のバイヤーの方に観ていただき、数社から直ぐオーダーが入り、リトアニアに最初のオーダーを行い90日後に商品が届き取引先へ納品を実施。
納品後約1週間でほとんどの商品がSOLD-OUTとなり、追加のオーダーを貰うことができました。また、納品先の店頭で商品に取り付けられている『輸入社』情報から新たな取引の申請が急に入り始めたのです。
嬉しい悲鳴なのですが、生産可能な数量を遥かに上回るオーダー数に少し恐怖を感じたことを覚えています。リトアニアの工房だけでは対応が出来ない事がわかり、いくつかの可能性からポーランドの生産者を探す事にしました。理由はリトアニアの家具職人はバスケットで使用する素材である『柳材』をポーランドから輸入していたことを覚えていたからです。まったく当てもなく、ポーランド大使館やヨーロッパの知り合いなどに生産者に付いて問い合わせをしますが、良い話はありませんでした。
しかし、受けたオーダーに対する責任がありましたので、事前に幾つかの工房の情報を調べてポーランドに向かい、現地で生産者を探すという昭和のような仕事ぶりを実行した結果、幸いにも良い工房と出会うことができて、大きな仕事を成し遂げる事ができたことは、いい思い出として残っています。
このような話の起点は、いつも気にしていたJane Birkinの美しいスタイルからでした。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。